できていたことができなくなる
どこの学校でもあるのだと思うのだが本校でも生徒会が主催で卒業をしていく3年生を送り出す会を行っている。
昨日、行われた3年生を送る会でのこと
1・2年生が感謝と激励の気持ちを込めて手作りのプレゼント(大抵は、卒業式の際に胸元を飾るようなもの)をしたり、歌や劇などするのだけど、一番盛り上がるのが、思い出ビデオの上映。入学時から今までの行事の際に撮ったビデオが10分くらいに編集されている。ビデオを見ると入学時は大きめの制服に小学生ぽい表情だったのに3年間で随分大きくなりすっかり引き締まった表情に成長しているのがよくわかる。変わったのは外見だけではない。内面的にも随分成長しているはず。内面の成長ぶりは、行動面の変化に現れているんだけど…1年の頃は遅刻なんかなかったのに、今は遅刻ばかり、授業もまじめに受けられていたし、宿題もちゃんとやれていたのに…行動面をみると、できていたのにできなくなったことばかり(><)
だからってこれは決して退行しているわけではない。小学校の時は先生のいうことは何でもちゃんと聞かなくちゃ行けないと思っていた。でも、中学生の今は先生の言うことをそのまま聞くのではダメだと思うようになった。自分の頭の中で考えて、ホントにそうかな?と疑うことも、自分はこっちの方がいいやと選ぶこともできるようになった。必ずしもできていたことができなくなることは決して喜ばしいことではないけれど、それも自分の判断が加わった結果だと思えば、納得できるかも知れない。
成長する、発達するというのは物事の意味がかわることなんだとつくづく感じてしまった。
しかし、そうであるならば、できなくなったことの意味について、もういちどしっかりと捉え直すことこそ、教育においては重要なことのように思われるのだが、そういうことに関するフィードバックというか、リフレクションというのか、あんまりする機会ないようなぁと思う。
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